バトゥパハ(バトパハ)の街
マレー蘭印紀行 金子光晴 中公文庫 2004年 648円
マレーシア・ジョホール州西海岸にある第2の都市バトゥパハ(本の中ではバトパハとなってます)。でもいかんせん、それはジョホール州でのこと。見るものもさほどない小さな街ですバトゥパハは。それでも、今でもわざわざこの本を携えて、日本から尋ねてくる人達が多くいるといいます。それは、この本を書いた詩人・金子光晴の世界が味わいたくて。。。
私達もその末端。といっても私はごめんなさい、読んだことないのですが・・・でも、バックパッカー達がひっそりとやってくる地として、心に残っていました。そして勝手に思い描いていました海辺の街を・・・ジャングルを・・・でも、何事も見て見なくちゃわかりませんものね。楽しみ~!一番楽しみだったのは、日本人倶楽部の建物。金子光晴が宿にしていたという建物です。
さて、ランチに大満足。ルンルン気分が高まり、さあいよいよバトゥパハの街です。
hitomiさんが準備よく、昔の日本人倶楽部の建物の写真を持ってきていて、「この建物を探してください!これが見たいのです!」 運転手さんがシービューレストランの人に聞きに行けど、誰も知らず。まあ、小さい街だから走ってみましょうということになりました。よかった!運転手さんいいひとじゃないですかー!目当てはバトゥパハ河岸と建物の上の塔。
マレーというよりは、中華系の建物がたくさん残っています。
1923年とか、1939年とか、建物に古い年代が刻まれています。
昔は鉄の鉱山やゴム園で栄えた街。多くの苦力(クーリー・半奴隷的な労働者)達が中国からやってきました。日本からもブラジルや満州へ出稼ぎしたと同じように、新開地を求めて、たくさんの日本人がはるばる渡ってきた地です。苦しく厳しい環境下で疫病に倒れ早く死んでいった人達も多くいますが、そんな中でもコツコツと働きゴムの大農園の経営者となったものもあり、大きな日本人町として栄えた過去を持ちます。戦前、バトゥパハは日本人が作り上げた街なのです。今ではまったくそんな様子は伺えませんが・・・
少し走って、う~ん、ないねー。。。などと諦めかけたとき、皆一斉に叫びましたね!!!
「あれだーーー!!!」
まさに、写真と同じ建物が目の前に。この街もどんどん建物が新しくなりつつあり、もうないかもーと諦めかけた矢先の出来事でした。特徴のある塔を持つ建物が唐突に姿を現わしたのでした。待望の旧日本人倶楽部の建物です。
それは青空を背景に堂々とした風格を持つ建物でした。でも、これ全部が日本人倶楽部ではなかったみたい。華僑の建物の一部をかりていたようです。しかし、この建物を見ていると、遥か昔この地で日本人達がいかに頑張っていたか・・・厳しくも愛おしい人生を伺わせる逞しい顔を持つ人々が、今でもあちらこちらと歩いているような錯覚にとらわれました。
日本人倶楽部の3階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった」
『マレー蘭印紀行』より
その店に坐って私は、毎朝、芭蕉ピーサン二本と、ざらめ砂糖と牛酪バタをぬったロッテ(麺麭)一片、珈琲一杯の簡単な朝の食事をとることにきめていた。『マレー蘭印紀行』より
芭蕉ピーサンとはバナナのこと。この赤い建物はちょうどお向かい。この場所に茶室(コーヒー店)があったようです。
写真を撮るため立っている私のちょうど背後にバトゥパハ河が流れてます。わー、本の通りに河もちゃんとあるーなんて当たり前ですが、ワクワクしながら、なんだか入り口のような所を入ろうとしていると、お兄さんが建物の中から何か言っている・・・こちらは一人じゃないからなんとなく無視していると、「2分だけだよ~!」の入門許可。「ありがとう!」なんていって帰って「地球の歩き方」を見てみると、なんとあそこは税関だったのですね。厚かましくごめんなさい!
「街のつきあたりに、満水のバトパハ河のうちひらけるのをながめたとき、私は、
しおやまみずのいりまじった水のなかに、頭からずんぶりとつけられたような気がした」
『マレー蘭印紀行』より
念願の日本人倶楽部・・・などとは言っておりますが、マレー蘭印紀行を読んで、日本からはるばる尋ねてくる人々からしたら、本当に申し訳ないような適当な旅で・・・ 仲間の中にちゃんと理解してきているutsumiさんがいらして初めて成り立っていたようなバトゥパハ紀行でした。さっそくしっかり読んでみます。
ほんのちょっとですが、このブログを書くにあたって、この街の関連のHPを読みました。ほとんど知識もなく行った街ですが、過去にここで大きなゴムプランテーションを開いていた人たちとか、労働者達とか、その方たちのお墓のこととか。。。クーリーのこととか・・・そういえば、前にバクテーを調べたときにこの街のことが出てきたことがあります。この街にたくさん労働者がいて、その労働者の朝食だったのが、バクテーだと。。。ここが発祥の地のようなことも書いてあったように思います。
今は想像も出来ない過去がそこにあったのだと。。。少しでも触れられて良かったなと感慨深いものを覚えました。バトゥパハを思い、その頃の人々を偲び祈りたい気持ちになりました。
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その後、海を見たい!と運転手さんに告げた私達。でも運転手さんの連れて行ってくれたところは、なんちゃってハーパービラ(タイガーバームガーデン)のようなそれはそれはご利益がありそうな(?)お寺でした。お寺なのかな?なんでもありのまるで吉本の世界のような場所。ここで海が見れるの?
運転手さんいわく、海は汚いから見てもしょうがない!それより、バトゥパハに来たならここで拝め!!!シンガポーリアンは必ずここに来る!!!と・・・
だからねーーー私達シンガポーリアンじゃないって!!!
ここで拝む方が海を見るよりよっぽどいいと・・・?! 誰が客じゃー?!?!客の言うこと聞け~~っ!て言う元気はもうなくなってましたぁ 笑~~ きっとこの運転手B型だよ~~~
そこで見たのが、このワニちゃん。ちょとかわいい?
お陰さまで、金子光晴の世界はあっという間に吹っ飛んじゃいましたー
どうしてワニが??
とにかくいろんな神様が揃ってましたーお賽銭箱と供に。
では
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コメント
爆笑しながら読みました。書いてくれてありがとう。B型いいじゃん!B型のおかげで世の中少しいい加減になって住み良くなっているに違いないとTOMは思うのだよmm。
投稿: TOM | 2008年8月 2日 (土) 15時30分
B型が決して悪いなんて言っておりませんよ~~
B型さんのお陰でずいぶん成長させてもらいやしたあ~~
うちは私以外みんなB型ですからね~~
それにしても楽しかったね。またどこかへ行きませう!
投稿: まゆり | 2008年8月 3日 (日) 21時36分
バトバハの記事、たいへん興味を持って読ませて頂きました。この地名は、数年前、ある方から、戦争体験をお聞きした際、シンガポールでの敗戦直後にしばらく駐留していたマレーシアの町として知りました。しかし、それがどこなのか、本当に、「バトバハ」という発音だったのか、最近ブログでその体験談をアップしてから気になっていました。そして、先ほど、ようやく自信を持って「バトバハ」と書き加えることができました。写真を見ながら、70年前、彼もこの風景を眺めたのかしら・と2ヶ月前に亡くなられたその友人のお父さまのことを懐かしく思い出していました。私も、来年は訪れてみたいです。ありがとうございました。
投稿: マクロビヨーコ | 2012年11月27日 (火) 10時48分
マクロビヨーコさま
はじめまして
コメントありがとうございます。
私とちょうど入れ替えでシンガポールに住んでいらしたみたいですね。久しぶりに当時感じた色々な気持ちを再度思い出すことが出来ました。ありがとうございます。
私のブログでも水本さんの証言の記事を紹介させて頂きました。一人でも多くの方に水本さんの気持ちが伝わりますように。ご冥福をお祈りいたします。
投稿: まゆり | 2012年11月30日 (金) 10時40分